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益田から世界へ! クリエイティブ業界で活躍する益田出身の幼馴染がMASプロジェクトに込めた思いを語る「地元にアートを残す意義」

益田工房の代表取締役社長を務め、グッドデザイン賞を初めとする数々の賞を受賞するなどウェブプロデューサーとして活躍する大石淳司。彼は同企業の代表取締役会長、洪昌督と共に2017年10月にMAS(masuda artist supportの略)を立ち上げ、市民と共にアート作品を購入し益田市の公共機関へ寄贈を行うプロジェクトをスタートさせた。

 

第一弾アーティストは文化庁新進芸術家海外研修制度に選ばれ、来年からニューヨークへ活動の場を広げるアーティストの野村康生。実はふたりは安田小学校・東陽中学校、益田高校、東京と青春時代をともに過ごした幼馴染でもある。

 

MASを通じてどんな「ふるさと益田」を実現させたいか?益田市のPRショップの役割も担っている益田工房東京オフィスにてインタビューを慣行した。

 

 

カメラとインターネット。この二つが人生を大きく変えた。

 

ー益田で生まれ育ち、益田工房(益田、松江、東京にオフィスを構えるクリエイティブカンパニー)で代表取締役社長を務めるまでどんな経験をされてきましたか。

 

大石:益田市津田町の海岸沿いで生まれて18年間過ごしたあと、東京の大学で経済学を勉強してたけど、アルバイトをしてた中華料理屋さんで後々カメラマンになる先輩と出会ったのが大きな分岐点になったと思う。この人がくれた古い一眼レフカメラが、僕の価値観を一気に変えてくれたんだよね。

 

野村:どんな価値観?

大石:「何かを伝える」ということがめちゃくちゃ面白いんだと気づいて。カメラをもらってから3か月後くらいには「プロカメラマンになるにはどうしたらいいんですか?」と聞いてた(笑)半年ぐらいは本気で色々考えてたかな。

 

野村:仕事としてはデザインの方面に行ったよね。

 

大石:大学でインターネットに触れたことが、これまた俺の人生を変える衝撃だった。田舎で育ってきたから、リアルタイムで地球の裏側に住んでいる人とチャットができるとか、インターネットが壁や距離を壊してくれることが面白くて。

大学のパソコン教室では飽き足りなくなって、なけなしのお金でパソコンを買って。23時になると料金が安くなるプランに入ったから、毎日23時までひたすら待つ生活をしてた。それくらい没頭する日々を過ごしてたな。

 

益田工房東京オフィスでの対談風景。壁には益田工房がパッケージデザインをした地元企業の商品などが並ぶ。

 

 

大石:当時はそれが職業になるとは全然思ってなかったけど、インターネットへの強い興味のままに今でいうSNSの前身となるようなサービスを運営している会社に入ってね。
めちゃめちゃ働いて、そこでインターネットの基礎を叩き込まれたかな。

 

野村:それから転職したんだっけ?

 

大石:そうそう、もっとインターネットで何かイイ「デザイン」をしている会社で働こうって思って。

それまでは確かにウェブサイトは作ってきたけど、「デザイン」っていう感じの経歴ではなかった。こんな履歴書でどこに入れるんだって思ったけど、あるデザイン会社が僕のそれまでの経歴で拾ってくれた。そこで面白くて伝わるコンテンツを作るプロセスを学んだんだ。

 

野村:お互い東京の大学に進学してからもよく遊んでたけど、卒業する頃にインターネット系のよくわからない仕事を始めたって聞いて、何をやっているんだろう?と思ってたけどね(笑)。でもその後に転職して淳司がグッドデザイン賞を獲得したり、それなりにちゃんと仕事としてやれてると正直驚いた覚えがあるな。

 

大石:さらにデジタルクリエイティブの会社に転職して、そこでの経験が本当によかった。こんな僕を信じていろんな事を任せてくれる社長だった。受賞に繋がったのは僕のチャレンジ精神をうまく活かしてくれたからだと思う。

 

野村:すごいよね。しっかりその業界内で評価されてたってことだから。

 

大石:その会社で大きなプロジェクトをやり尽くしてから、いざ自分で起業しようと思ったときに、益田工房とビジョンが似てたからむしろ一緒にやることにしたんだよね。益田工房も益田高校の同級生だった洪と桑さん(桑原 宏幸 益田工房CDO)がすでに益田で立ち上げていて、当初から話はしてたんだよね。

 

 

将来は絵描き。夢を言い切るやつは康生だけだった。

 

野村:僕は遠田町の出身で、小中高と全部淳司と一緒(笑)。小学校から仲は良かったよね。サッカーの少年倶楽部も一緒だったし。僕自身は小さい頃から絵ばっかり描いていて、学校に必ず一人はいる絵が上手いキャラみたいな立ち位置で。

 

大石:そこは誰も疑わないと言うか。あの当時から職業の域でやってたよね。夢を言い切ってる奴って康生唯一だった。

 

野村:そうかもね。小学校の時にすでに自社出版会社と称してオリジナル漫画の単行本を作ったり、自作漫画のキャラをマグネットにしてこっそり購買で販売したり(笑)。
中学入って漫画を描くのは恥ずかしくなって辞めちゃったけどね。
高校への進路指導の時に美術を学ぶために県外の専門校に行く話も出たんだけど、ちょうど益田高校の美術部に武蔵野美術大学出身で油彩の作家だった篠田正美先生がいるからってことで益田高校に進学することに決めたんだよね。

 

高校入学時から進路は東京の美大を考えていたから、2年生頃から夏休みに広島や東京の美術予備校に講習を受けに行ったんだけど、益高の同級生はだいたい遠くて博多か関西圏の大学を志望してたから、それを飛び越えて東京へ行く連中はそう多くなかったよね。今考えると淳司や洪くんは同じようなビジョンを持った仲間だったのかもね。

 

 

売れない時代に絵を買ってくれた益田工房

 

野村:卒業してからはフランスに行って作家活動をしたり、友達とグループを組んで展示をしたり。友達のギャラリーで作品を販売してもらうこともあったけど、作家としてはまだまだだった。そんな時「益田工房のオフィスに飾りたいから作品作ってよ」と作品をオーダーしてくれたんだよね。

 

益田工房のオフィスの棚のサイズに合わせて制作した「Planet Gliese」( 2013)
太陽系外惑星として発見された惑星グリーゼの風景をテーマに「益田から世界へ!いや太陽系外まで!」というエールを込めて描いた作品。

 

 

大石:それは洪の発案。

野村:地方発のデザイン事務所が、イカしたデザインで活躍している。その中に現代アートをやっている同級生がいるなら見せたいと話してくれたのは、正直嬉しかったな。

 

大石:洪の気持ちを代弁すると、彼自身は映画の夢を持っていたんだけど家業を継ぐ現実があったから、康生みたいな活動を応援したいという気持ちもあったんだと思う。

 

野村:僕の東京での個展のレセプションパーティーで、益田工房がデザインしてくれた右田酒造さんのお酒の協賛をお願いしてくれたり、淳司がプロモーションビデオを作ってくれたりもしたよね。あれはかなり好評だったよ。

 

 

 

島根県益田市で培われた感性から生み出た作品を、益田でも観られる環境を作りたい。

 

ー外から見ると、益田はグラントワや、雪舟・柿本人麻呂ゆかりの地と文化的なエリアという印象がありますが。

 

大石:地元民からしたらそれは若干ギャップがあると思う。芸術文化が色濃い街と捉えている人は少ないんじゃないかな。雪舟庭園とか、見に行ってる人ってそんなにいないと思う。

 

ただ、グラントワが出来たのはものすごく大きくて。地元住民も行きたいと思うイベントをよくやってるし。益田にとってフェーズか変わったよね。

グラントワができたことによって昔よりもアートが身近に感じられるし、俺が子供の頃は、アート、芸術という言葉がふわっとしてたけど、今は輪郭がはっきりしてきた気がする。

 

野村:今年の9月15日からグラントワで「めがねと旅する美術展」っていう企画展が始まるんだけど、僕も出品が決まったんだよね。今回MASで扱ってもらう作品はそれに選出してもらったもの。美術館の企画展に参加するのは初めてだから、すごく思い入れがあるシリーズなんだ。

 

 

青森県立美術館、島根県立石見美術館、静岡県立美術館を巡回する企画展「めがねと旅する美術展」にて展示する作品シリーズ。石見美術館では9月15日〜11月12日に開催。

 

 

大石:ピカソとかゴッホとか、すでに評価されている作品も良いけど、今を生きている人たちの作品って「同じ時代を生きている」ってことにすごく意味がある気がしてて。

特に康生の作品は、その一部が島根県益田市で培われたものだと思ったら応援するしかない!と思ったんだよね。人生のうちの半分くらいは自分と同じ場所で過ごして、同じ景色をみて育ってきたわけだから。

 

有名な作家の作品とはやっぱり感じるものが違う気がする。「今」の絵をみることに価値があると思う。だからこそ、その「今の作品」を地元に残したいと思うんだ。

 

野村:益田工房も今では県外からの仕事も受けてるし、海外の賞もとったりして確実にステップアップしてるから、挑戦するフィールドは違ってもすごく共感できる部分があるんだよね。

 

大石:益田工房で康生の作品を買い上げて寄贈する方法でもいいんだけど、益田市民みんなで買うことで、地元アーティストや益田市を盛り上げる「当事者」になってほしいと思っていて。同じ意識で活動に参加してもらうきっかけになるかなとも思っているよ。

 

野村:僕にとってもこの企画はとても大きな転機になると思ってて。
今まで少しずつチャンスをもらいながら、徐々に発表する場も増えてきて。今年からいよいよアートの本場って呼ばれるニューヨークに拠点を移して挑戦しようという大事な時期。

 

今までのアーティスト像って海外に挑戦するとき、日本のシーンとは断絶して欧米のルールに自分をアジャストしていく事がセオリーになっているけど、僕は益田出身という、その風土を持ったまま、世界に挑戦したいという想いを強く持っていて。

さっきの淳司の話じゃないけど、インターネットで世界どこへでも瞬時にコミュニケーションが取れる時代。アメリカにいても、MASを通じて地元益田との関係性を保ち続けたいと思っている。

 

 

益田に生まれ育ったことが理由でなれない職業なんてない。益田出身のアーティストを通して伝えたいメッセージ。

 

大石:俺らの時代って、夢を持ちにくいというか、目指しにくい空気感がものすごくあったと思う。周辺の理解を得難い、応援されにくいと俺は思ってたんだよね。

クリエイティブとかアートとかファッションとか、そういう一見華やかに見える世界がちょっと遠いというか。

 

野村:公然と夢を語る人はそんなに多くなかったよね。こっそり思ってたとしても。

 

大石:康生が早くからそれを表明していて、そこに向けてやってることについてどこかしらちょい違う奴だと思ってたな。

それぞれの家によると思うけど、親にクリエイティブな夢を話したらまず許されないよね。

 

野村:独特の閉塞感というか、そういう空気感があったかもね。今もそうなのかな?

 

大石:MASを通して益田出身でもそうした分野でちゃんと成功している人がいる!ってことを知るだけでも意味があるんじゃないかと思っていて。

 

例えば僕は東京でふたりの子供を育ててるんだけど、友達のパパやママがクリエイティブな職業をしているとか、幅広い仕事が身近にある。
東陽中の頃を思い返してみても、周りにそういう大人がいたら、もっと視野を広くもてたんじゃないかなって。

 

 

大石:益田にいると、夢は叶わない、現実的な職業の方が幸せになれるってどこか諦めのようなものがある気がするけど、今振り返ってみるとその地域に生まれ育ったことが理由でなれない職業はないんだよっていうことをあの頃の自分に言ってあげたい。

 

その想いがMASを通して今の子供達に届くと良いなって思ってる。夢に格差はないはずだから。

「野村くんでもできるんだったら、自分にもできるかも」「我が子でもできるかも」って子供も大人も夢を描きやすい地域にしたいね。

 

野村:子供たちの夢を壊さないためにも、僕らは10年後も20年後もお互いのフィールドで走り続けてる姿を見せられるように、挑戦し続けないといけないね!

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2017. 10. 03

「めがねと旅する美術展」に野村康生さんが参加

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